第3章 楽譜の意義

1.記録から創作へ

 このように見てきた西洋音楽の可視化の方法と変遷だが、その中には、いくつかの点で「覚え書き」を超える要素を見い出すことができる。ここでは、楽譜の性質にまつわるいくつかの事例をひきながら、音楽を可視化することが果たしてきた意義や問題点を探りつつ、様々な角度から結論を提示していこう。
 まず、楽譜は「覚え書き」として現われる。「覚え書き」とは、記憶を呼び覚ますためのメモにすぎないが、この「覚え書き」が体系化され、記録を可能にするメディアとして認知されるにいたる。教会音楽の側から見れば、記譜という行為は、ある曲と、別の曲を紙の上で、別々のものと看做せる道具となり、やがて、それをより美しく、効果的なものにするため、新しい旋律などを付け加える土台となった。
 楽譜が読める聖職者や、知識人は、ある曲を歌ってみせるのではなく、楽譜にすることで、より広大な伝播を可能にした。この一曲がひとつの楽譜によって独立して示されるということは、初期の聖歌にとって非常に重要なことだった。なぜなら、旧訳聖書をテクストとして用いる聖歌は、通常文にせよ、固有文にせよ、同一のテクストによっている。例えば、ミサで歌われるキリエ Kyrie、グロリア Gloria、クレドー Credo、サンクトゥス Sanctus、アニュス・デイ Agnus Dei などといった曲[注48]では、全く同じ歌詞に曲がつけられるのであり、曲名もそれに準拠する。パレストリーナは105曲に及ぶミサ曲を残しているが、キリエは全てキリエである。グレゴリオ聖歌のキリエと、それから7世紀を下ったモーツァルトのキリエにも同じことが言える[注49] 。さらに付け加えるならば、通常文をまとめてミサ曲として作曲する習慣は、マショー以降に始まったものであり、それまでは、各曲がばらばらに作られ、統一性を保持していなかった。こういった聖歌の性質は、初期の記譜法の開拓の十分な推進力になったとはいえないだろうか。そして、記録された楽譜は、オリジナル・テクストとして、新しい旋律や歌詞を付け加える土台となる。オルガヌムやトロープスの発展過程で、多くの記譜法の変遷がみられたことはすでに述べた通りである。
 そして、記録には、さらに別の側面がある。それは、保存の可能性であり、その人為的な意思を成立させたことである。作曲家というに値する音楽家が、トルバドゥール troubadourやミンネゼンガー Minnesanger[注50]の中に存在しなかったといえば、間違いになるだろうが、自分の作品を明確に記録し保存しようと考え、作品に対する創造者としてもっとも威光をしめしたのが、ギョーム・ド・マショー Guillaume de Machault(1300c.-1377)であろう。西洋史上----無論、史上という言葉には、それだけで、記録が残っていることを示唆するのだが----最も古い作曲家といわれるのは、マショーより、2世紀近く前のノートルダム楽派のレオニヌスやペロティヌスである。彼等を記述した唯一の資料である第四の無名者[注51]によると彼等は「最高のオルガニスタ」「最高のディスカントール」と呼ばれていたというが、この言葉の解釈にいくつかの問題がある。オルガニスタとは、果たして、「オルガヌム作曲家」なのか、「オルガヌム歌手」なのか。私は、彼等が即興技術に富んだ「オルガヌム歌手」なのではないかという説[注52]に賛成だが、彼等が、即興によって作られたものを自分の手で記譜したのかどうかは、判断しづらいところである。現在、作曲家を表わす英語はcomposerであり、これはラテン語のcomponereに由来する言葉である。「結合する」とか「並べておく」といった言葉であらわされるものを作曲行為なのだとすれば、レオニヌスやペロティヌスのオルガヌムやディスカントゥスという音楽様式は、まさに、componereされたものであろう。しかし、ケルンのフランコの『計量音楽論』の序文には、計量音楽の筆者を指してnotatorという言葉が使われている。文字通り、「記譜する者」である notator は、より今日的な意味で作曲家に近い。この意味で、ギョーム・ド・マショーは、楽譜を書くことによって自分の名を広め、後世へ残すことを企図した最初の作曲家といえよう。アルス・ノヴァの記譜法により残された楽譜は、若干の作者不明のものと、創始者フィリップ・ド・ヴィトリのものを除けば、そのほとんどが、ギョーム・ド・マショーのものである。彼の音楽的業績は言うまでもないが、特に、彼が、後年、自分の作品を全集としてまとめ上げ、豪華な手稿本をいくとおりもつくらせ、パトロンに献呈したという事実から、彼の作品に対する作曲家としての態度がうかがえる。そして、ここで留意しなければならないのが、次に述べる作品としての楽譜の存在なのである。マショーに典型的なこの発想は、音楽が、楽譜でしか記録、保存できないのなら、当然生まれるであろう考えである。作品としての楽譜の存在は、音に関する様々な要素を記述するメディアであるばかりでなく、それ自体が、一つのステータス性を帯びるようになるのである。そして、アルス・ノヴァは、実践的な立場から記譜法を開拓することで、その音楽理論に対する優位性を獲得しようとした試みでもあった。それは、音楽が、神学者や哲学者のものではなく、作曲家のものであることを打ち出した一つのマニフェストとも解釈できる。
 しかし、いくとおりもあるであろう作曲の方法論は、このころから、楽譜に記述するという方法に集約されてしまった。近代の楽譜が、イタリアの鍵盤楽譜から得た最大の特質は、大譜表 great staffで書かれるという点である。先に述べたとおり、西洋音楽は、11世紀からポリフォニックな形態を獲得していた。さらに、ホモフォニーというものなら、その理論は古代ギリシアにまで遡れるだろう。11世紀以降の西洋の音楽には、モノフォニー monophony[注53]は、ほとんどない。多くの声や多くの楽器が要求される大譜表を必要とするような音楽は、当然のことながら、即興演奏ではない作曲の方法を要求する。作曲家は、楽譜を書かなくては、作曲ができなくなっていくのである。こうして、楽譜は創作の必要条件となる。曲が作れても、楽譜が書けなければ、作曲家と呼ばれないことは、クラシックの世界では当り前のことである[注54]
 さらに、楽譜は、場所や時を超え、単体で作品と考えられるようになった。ドイツのバッハは、先輩であるイタリアのビバルディのスコアを学んだし、現代に至る多くの作曲家たちが、過去のスコアを学ぶという方法論を築いてきた。楽譜が読める人間にとって、楽譜は演奏家の介在なくして作品として認められるようになり、再現されずに、音楽たりうるような錯覚までもが生まれてくる由縁である[注55]。最も、象徴的なのは、彼等の作品につけられる作品番号であろう。「Op.12」などと記されるOp.は、ラテン語で「作品」を意味するopusの略である。そして、この番号は、作曲順でも、初演順でもなく、たいてい、出版年代によってつけられるのである。
 そして、作曲家以外が、その作品を演奏し、やがて、演奏家という職業が分業されると、作曲家の管理下を遠くはなれて、作品が再現されるようになる。言葉が文字と結び付いているほど、音と音符は結び付いていない。なぜなら、言葉の情報は、音声として話される言語の中の意味を記号化するものであって、音声自体を目に見えるように示したものではない。話された言葉を文字にする時、その話し手の声色やイントネーションまで記述することは要求されないのが普通である。それだけ、言葉はコード化されているから、例えば、発音記号は、ある種の音声の記号化だが、それをもって文章を書こうという発想は、あまり意味がないように思える。一方、音楽には、それ以上の要求がなされる。作品として考えるならば、文芸作品が、潜在する姿として本になるとき、文字は言葉の代用物であり、全く変らぬ意味を持つ。しかし、音楽の現実の有り様が、そのまま意味の変換を受けずに、楽譜に定着されることはありえないとも言えよう。今まで、楽譜の変遷で注目してきたことは、音の高さと長さというたった二つの情報にすぎない。しかし、例えば、初期のネウマ譜に存在するロマヌス文字[注56]と呼ばれる文字は、記号として微妙なニュアンスを補筆しているし、17世紀後半のフランス音楽から生まれた装飾音、アグレマン agrementも、音に美感を与える目的で、今日まで広く使われている。
 そして、近代の楽譜には、演奏しながらでは解釈が間に合わないほど多くのテンポ、デュナミーク Dynamik、曲想 expression、アーティキュレーション articulation、アゴーギク Agogik[注57]などが存在する。楽譜には、ロマヌス文字や装飾音など、音楽記号として成立しているものもあるが、音符の形態ではなく、文字として指示される音楽的情報もあたりまえのように内在している。しかし、これらは、作曲家が創造した通りに演奏をさせるためには、必要不可欠なことであると考えられる。楽譜は「覚え書き」ではなく、詳細な分析と解釈を必要とする精密なメディアになってしまった。しかしながら、作曲家がどんなに詳細に楽譜をしたためても、決して彼の思うとおりに再現されることはない。エクトール・ベルリオーズ Hector Louis Berlioz (1803-1869) の詳細な表題によって、つまり、抽象記号ではなく言語として語られた楽譜も、モーツァルトのいたってシンプルな楽譜も、楽譜として譜面台にのせられる時、演奏家の前では等価となるだろう。そして、楽譜の不完全再現性こそが、演奏家のステータスを築く最初の条件なのである。そして、そのことを一番良く知るからこそ、作曲家は、記譜上に新たな記述を付加していくのである。この記述の問題は再びとりあげるが、現代に向かい、増えこそすれ、減りはしない。

2.楽譜による音楽の拡大

 音の高さ、音の長さという二つの要素を「可視化」することに成功した楽譜は、空間と時間のシンボルを同時に、同一平面上に満たした唯一のメディアであるのみならず、歴史上、始めて創造された時間を計測するシンボルであった。楽譜における空間的なシンボルが、比較的早い段階に成立し、時間的なシンボルが、多声音楽の発展を推進力としてようやく13世紀にはいり、確立されることは前に述べた通りだが、これらのシンボルを正確に捕捉できるようになると、西洋の音楽家は、音楽のシンボルによる運動を容易に拡大させることが可能になる。それは、一つの音列から始まり、巨大な形式[注58]へと広がっていくのだが、これらの形式化された音楽は、ほとんど、西洋独自の機能和声法によるところが大きい。
 モノフォニーであれ、ポリフォニーであれ、あるいは、西洋以外の音楽にもほとんどの場合で共通するのだが、音楽には、中心音への忠実さという原則が存在している。簡単に言えば、「ド」を中心音として始まった音列は「ド」に回帰し終るということである。運動というものは、物理的なものであれ、シンボル上のものであれ、終始へと向かう一連の動きであるという支配的な考え方が、この場合にもあてはまるようだ。この中心音の持つ引力は、特に、楽譜を持つ西洋音楽の場合、際だった力を持つにいたる。このことは、「音楽というのは、静止というある決まった点に向かって収束する一連のインパルスに他ならない」[注59]という作曲家イゴール・ストラヴィンスキー Igor Stravinsky (1822-1971)の言葉によくあらわれている。ポリフォニー音楽が、ルネサンスを通して黄金時代とも言える隆盛を迎え、17世紀前半から、西洋の音楽の中心がホモフォニーへと移行していったことはすでに述べた。ホモフォニーは、1750年を境いにはじまる古典派・ロマン派の時代に、盛期を向かえた。我々が、普通クラシック音楽と呼び、愛聴している音楽は、まさに、この時代の音楽である。その我々が感じるクラシック的なものこそ、この中心音の引力であり、それはホモフォニーにおいてもっとも強く感じられる性質を持っている。ごく簡単に、先ほどの「ド」に回帰する音楽で考えると、例えば、単音の音列においては、中心音「ド」に向かう「シ→ド」や「レ→ド」といった引力は一つである。ポリフォニーにおいては、それらの引力は、声部が独立しているためばらばらに起こる。それに対し、ホモフォニーは、これらの引力が和音という一体化した音の塊の中で、一斉に起こる。中心音の代りに、協和音という言葉が、強力な引力を持つ中心和音となり、その他の不協和音[注60]は、全て、協和音に向かって収束する。終始の性格を持たない音や和音は常に、動的で、緊張や不安定をもたらす。つまり、それらが同時に起こるホモフォニーの方が、緊張や不安定からの終結への期待がより強まるということである。
 これらの和音の性質を理論化したのは、フランスの後期バロックを代表する作曲家ジャン=フィリップ・ラモーJean-Philippe Rameau(1683-1764)である。1722年、彼の著わした『和声論 Trait de l'harmonie』は、その後の、西洋音楽の成り立ちに決定的な効力を発揮することになる。楽理の世界で、機能和声 functional harmony と呼ばれる、それぞれの和音が調を規定する上で、どのような役割を果たし連結されていくのかを分析するこの理論によると、和音は、最終的に、中心音の機能を持つ主和音に向かって連結され、終始形 cadenceを形成する。調性音楽と呼ばれる全てのものが、どんなに転調を繰り返し、複雑な旋律やリズムをもっていたとしても、和声的には、全て、この規則によっている。通奏低音における和音の略記法は、この理論に援用され、19世紀にフーゴ・リーマン Hugo Riemann (1849-1919)の機能理論で、一つの頂点に達した。西洋音楽の礎となり、高度に展開されてきた和声理論を支えるものが、平均律と近代譜法にほかならない。
 終結に向かってさえいれば、音楽は、いくらでも長く続けることが出来る。和声法による転調や、変奏を繰り返していくこともできるだろう。楽譜というシンボルが、時間の流れを表記し、複雑で長大な作品を生むことを可能とするのは言うまでもない。そして、このように複雑で長大な音楽の流れはやがて、スタイルとしてのコードを獲得するようになる。音楽において形式と呼ばれるもの、あるいは楽式論として論じられるものがそれである。ソナタ形式は、まず、そのソナタの書かれる主調で、第一の主題が演奏される。後続の第二の主題は、そのソナタが、長調の場合は、属調へ、短調の場合は平行調へ転調する[注61]。この提示部と呼ばれる部分はたいてい繰り返され、次に不安定で、動的な展開部がはじまる。絶え間ない転調が繰り返されながら、音楽は進み、再現部に入る。再現部は、提示部とほとんど変らないが、第二の主題へ移行する際の転調はなくなる。そして、コーダと呼ばれる終結部が続くことになる。このような音楽形式を組み立てられる背後には、楽譜の存在が不可欠である。物理的な流れとして、一つの音から、音列、そして音楽形式にいたるスタイルとしての時間の獲得も楽譜が、空間と同時に時間をシンボル化しているから可能なのではなかろうか。管弦楽曲の最も大規模なものである交響曲は、その第一楽章にこのソナタ形式を持ち、他に三つの楽章を持つ。このような規模と複雑性の獲得に、楽譜が不可欠であることはいうまでもない。

3.楽譜による音のコード化

 西洋の音楽史が、作曲された音楽の歴史であるならば、いままでみてきたものは、「規範的」な楽譜の歴史ということになるかもしれない。しかし、この「規範的」「記述的」という区分も、音楽的には弁別しにくいものとなってくる。音楽人類学のフィールドワークなら構わないが、作曲のどこまでを、「規範的」であり、どこからを「記述的」と看做すかは、あまり意味のないことに思われる。なぜなら、「記述的」楽譜も、ある意味、楽譜の持つ記述性を音楽の中に還元していくからである。新しい作曲方法の開拓としてではあるが、楽譜を音楽の記録にではなく、他の事象が発する音の記録として使った作曲家たちがいる。鳥の声に魂を奪われた作曲家は多い。特に、自らを「リズム家であり、鳥類学者である」と言うオリヴィエ・メシアン Olivier Messiaen(1908-1992)は、世界各地の鳥の声を採譜し、作品に取り入れている。中でも、《鳥のカタログCatalogue d'oiseaux》(1956-58)は、演奏時間にして3時間半におよぶピアノ曲だが、その全編が鳥の歌だけで構成されている。人の会話を楽譜に記述したのは、レオシュ・ヤナーチェク Leos Janacek(1854-1928)だけではないだろう。彼等は、それらのモチーフを音楽に導入したが、このような、可能性を得ることで、「規範的」と「記述的」の境界が破れたことを嘆くよりも、楽譜が、音楽や音そのものを自由に変調する場を音楽家に与えたことを評価すべきかもしれない。鳥の声は自由に移調され、会話は断片化される。音楽作品自体も、その素材となりうる。ベーラ・バルトークBela Bartok (1881-1945)など民俗音楽を採譜し、自分の作品に導入した作曲家は多いし、記述性という意味で、コピーや引用といった文学的書法を導入することも、当然可能になった。ルチアーノ・ベリオ Luciano Berio(1925-)の《シンフォニア Sinfonia》(1968)の第三部では、マーラーの《交響曲第二番“復活”》(1888-1894)の第3楽章の完全な再現を土台にバッハから、ショトックハウゼン[注62]にいたる過去の作品の音素材が自由に引用される。引用は、当然、過去の演奏によるのではなく、記録された楽譜にそのオリジナルを求めるだろう。さらに、スティーヴ・ライヒSteve Reich(1936-)のような作曲家は、こういった方法に、コンピューターを導入した。彼は《ケイヴ Cave》(1993)において、インタビューから取られた人の言葉を、一旦コンピューターで、音列化し、それを楽譜におきかえ、他の楽器に変換して、演奏するという技法を使用した。これらのことは、楽譜が、創作される音の連なり以外のあらゆる音素材を、変調し、変換し、断片化できるデジタル的なコードとしても扱いうることを示している。
 同じように、音価の表示を可能にしたことで、楽譜は、時間のコード化さえ可能にした。ゲーザ・サモシは、多声音楽を近代科学の生みの親と捕えた論文を書いているが、ルネサンスの画家たちが、空間を比率として計測する透視図法を生み出すより早く、多声音楽の音楽家たちは、時間をシンボル化することに成功している論ずる[注63]。このコード化された時間も、当然、楽譜の上で、様々な変換をうけることになる。まず、オルガヌムが《グレゴリオ聖歌》の空間的拡大だったことは前述したが、時間的拡大を目指す発想から(これは、儀式に合わせ時間を長くすることが第一の目的であったろう)、各音にきらびやかな装飾をつけ、それを母音で歌うメリスマや、そのメリスマに新たな歌詞をつけ歌うトロープスという形式が誕生した。カノンという音楽形式は、先行する声部をある時間間隔をおいて後続声部が、追模倣する。拡大カノンや縮小カノンと呼ばれる形態では、先行声部の音価が、何倍か、あるいは何分の一かに伸縮されて模倣が起こるし、逆行カノンでは、先行声部が、末尾から時間を遡るように、模倣されていく。この時間の伸縮性をもっとも端的に示すのが、湯浅譲二(1929-)のトポロジィ・位相幾何学をとりいれたフレームによる作曲方法である。小節をフレームとして0から12の数に等分割する。楽譜は、すでに時間的下部構造を有しているのだから、そこに、音か沈黙かが、ならべられる。ところが、第一声部と第二声部に、別のフレームがおかれることによって、第一声部を第二声部が、そのまま模倣する純粋なカノンを作ったとしても、先行声部が、発音するより早く、第二声部がその模倣をするという現実がおこるのである(譜例3-1)。時間をフレームとしてコード化することで、このようなゴムのような伸縮する時間が、シンボルとして存在し、演奏によって具現化できるのである。ミニマル・ミュージックと呼ばれる音楽の代表的な技法は、「漸次移動するプロセスとしての音楽」すなわち、「ズレ」である。ライヒの《ピアノ・フェイズ Piano Phase》(1967)では、二人のピアニストが、まったく同じ演奏をするのだが、一人は、一方より微妙に速いテンポが設定される。ここには、異なった二つの時間軸が生まれることになる。ポリフォニーは、音価の記譜法を生んだが、今、ポリクロニシティともいえる多層的時間が、同じ、記譜法を持って得られるようになったのである。


第3章、続く