| 作曲家 | 生没年 | 出身国 | 作品 | 一口メモ |
|---|---|---|---|---|
| アダムス、ジョン ADAMS,Jhon Coolige | 1947- | アメリカ | 「シェイカー・ループス」 「中国のニクソン」 | 自称「ミニマリズムに飽きたミニマリスト」 |
| イベール、ジャック IBERT,Jacques | 1890-1962 | フランス | 「寄港地」 「海の交響曲」 | 印象主義+新古典主義? |
| ウィアー(ウェイア)、ジュディス WEIR,Judith | 1954- | イギリス | 「チャイニーズ・オペラでの夜」 「消えた花嫁」 | 「和解のレクイエム」戦後組 |
| ウェストブルック、マイク WESTBROOK,Mike | ? | イギリス | 「ビーン・ロウズ・アンド・ブルース・ショッツ」 | ジャズの語法 |
| オアナ(オハナ)、モーリス OHANA,Maurice | 1914- | フランス | 「シナクシス」 「神託の祭式」 | 多国籍作曲家 |
| カウエル、ヘンリー COWELL,Henry | 1897-1965 | アメリカ | モザイク四重奏曲 | ピアノの内部奏法考案 |
| カスケン、ジョン CASKEN,John | 1949- | イギリス | 歌劇「ゴーレム」 | |
| カーター、エリオット CARTER,Eliot | 1908- | アメリカ | 弦楽四重奏曲 管弦楽のための協奏曲 | アイヴスの朋友 |
| ガーゼ、ニールス GADE,Niels | 1817-1890 | デンマーク | 交響曲 「魔王の娘」 | デンマーク音楽の父? |
| カリンニコフ、ヴァシリー KALINNIKOV,Vasily | 1866-1901 | ロシア | 交響曲第2番 杉としゅろ | 結核で早逝 |
| カロミリス、マノリス KALOMIRIS,Manolis | 1883-1962 | ギリシア | 交響曲第1番「レヴェンディア」 | ギリシアの大作曲家 |
| カンチェーリ、ギヤ KANCHELI,Giya | 1935- | グルジア | 交響曲7曲 エクシール | 静謐と爆発 |
| コペレント、マルク KOPELENT,Marek | 1932- | チェコ | オラトリオ「彼女は本物である」 | 「和解のレクイエム」に参加 |
| コリリアーノ、ジョン COLIGLIANO, John | 1938- | アメリカ | 歌劇「ヴェルサイユの幽霊」 交響曲第1番 | エイズを扱った初の交響曲? |
| ジェウスキ、フレデリック RZEWSKI,Frederic | 1938- | アメリカ | 「カミング・トゥゲザー」 「アッティカ」 | 社会・政治的ミニマリスト |
| シサスク、ウルマス SISASK,Urmas | 1960- | エストニア | ピアノ曲集「銀河巡礼」 | バルト三国注目株 |
| スクリャービン、アレクサンドル SKRIABIN,Aleksandr | 1872-1915 | ロシア | 交響曲5曲 ピアノソナタ10曲 | 徹底した神秘主義 |
| ステンハンメル、ヴィルヘルム STENHAMMER,Wilhelm | 1871-1927 | スウェーデン | 交響曲第2番 | スウェーデンのワーグナー |
| セムゾー、ティボル SZEMZO,Tibor | ? | ? | 「水の不思議」 | ミニマル |
| ターネジ、マーク=アントニー TURNAGE,Mark-Anthony | 1960- | イギリス | 歌劇「グリーク」「3人の絶叫する教皇」 | 若手人気ナンバー1、バーミンガム響の座付作曲家 |
| ダルバヴィ、マルク=アンドレ DALBAVIE,Marc-Andre | 1961- | フランス | 「王冠」 「透明な鏡」 | 「和解のレクイエム」、ブーレーズのお気に入り? |
| タン・ドゥン TAN DUN | 1957- | 中国 | 「マルコ・ポーロ」 | シアトリカルな作品 |
| デッサウ、パウル DESSAU,Paul | 1894-1979 | ドイツ | 「ルクルスの判決」 交響曲 | 社会主義作曲家 |
| ディットリヒ、パウル=ハインツ DITTERICH,Paul-Heinz | 1930- | 東ドイツ | 「ストレッタ」 「匿名の声」 | 早くから西側に認められた |
| デニソフ、エディソン DENISOV,Edison | 1929- | ソ連 | カンタータ「インカの太陽」 | 多様式主義 |
| トゥーッカネン、カレルヴォ TUUKKANEN,Kalervo | 1909-1947 | フィンランド | 交響曲第3番「海」 | ロマン主義 |
| トゥール、エルッキ=スヴェン TUUR,Erkki-Sven | 1959- | エストニア | オラトリオ「世の終焉の前に」 | 多要素の衝突 |
| トーキー、マイケル TORKE,Michael | 1961- | アメリカ | 「イエロー・ページズ」 | "argo"系 |
| トルミス、ヴェリヨ TORMIS,Veljo | 1930- | エストニア | クッレルヴォのことずて | 民謡による合唱曲作曲家 |
| トローバ、フェデリコ、モレノ TORROBA,Federico Moreno | 1891-1982 | スペイン | ソナティナ 「スペインの城」 | ギター曲、サルスエラなど |
| ツェルハ、フリードリヒ CERHA,Friedrich | 1926- | オーストリア | 「シュピーゲル」 歌劇「ねずみ捕り」 | 「ルル」三幕を補筆 |
| ツェムリンスキー、アレクサンダー ZEMLINSKY,Alexander von | 1872-1942 | 墺〜米 | 抒情交響曲 | シェーンベルクの師 |
| ニールセン、カール NIELSEN,Carl | 1865-1931 | デンマーク | 交響曲第4番「不滅」 | デンマークの大作曲家 |
| ノールハイム、アルネ NORDHEIM,Arne | 1931- | ノルウェー | 「グリーティング」 「ネノリス」 | 「和解のレクイエム」 |
| J.ハービソン | ||||
| バビット、ミルトン BABBITT,Milton | 1916- | アメリカ | 「弦楽オーケストとテープのためのコレスポンダンス」 | 数学者作曲家 |
| C.ハルフテル | ||||
| A.ヒナステラ | ||||
| M.フィニスィ | ||||
| C.フィットキン | ||||
| アンドレ・ブークルシュリエフ BOUCOURECHLIEV,Andre | 1925- | ブルガリア〜仏 | ||
| M.フェルドマン | ||||
| W.フォルトナー | ||||
| ベック、コンラート BECK,Conrad | 1901-1989 | スイス | 無伴奏チェロのための3つのエピグラム | フランス新古典主義。「中庸の道徳」 |
| ブリッツスタイン、マーク BLITZSTEIN,Marc | 1905-1964 | アメリカ | 「空輸」交響曲 | アメリカンスペクタクル |
| ブソッティ、シルヴァーノ Bussotti,Sylvano | 1931- | イタリア | 「ラーラ・レクイエム」 「ベルククリスタル」 | マルチ芸術家 |
| ブゾーニ、フェルッチョ BUSONI,Ferruccio | 1866-1924 | イタリア | 未来音楽の論客 | |
| P.ヘラウェル | ||||
| H.ヘンツェ | 1926- | 多ジャンル多作、キューバ好き? | ||
| H.ホリガー | ||||
| K.フーバー | ||||
| J.マクミラン | 1959- | スコットランド | 「十字架上のキリストの最後の7つの言葉」 | |
| B.マルティヌー | ||||
| L.メリシュ | ||||
| J.メトカーフ | ||||
| F.モンポウ | ||||
| I.ムーディ | ||||
| R.モラン | ||||
| E.リドル | ||||
| A.ルリエ | 1892-1966 | ロシア | 独奏ヴァイオリンと弦楽合奏のための室内協奏曲 | 未来主義〜新古典主義 |
| B.ランズ | ||||
| K.ライネッケ | ||||
| W.リーム | ||||
| H.ロット | 若死代表 | |||
| P.ロビンソン | ||||
| A.ロイド・ウェッバー | ||||
普通のピアニスト兼作曲家
初めは、ピアニストだったんですよ。まあ、それも、リストと並ぶテクニックで、ラフマニノフとともにロシア・ピアノ界の逸材というんだから、これはすごいです。それから、ちょっと作曲なんて始めちゃうわけです。一応、後期ロマン派なんですけどね、最初の頃、書いてたのは、ショパンの亜流のようなピアノ曲で、ちょっと進んで、まぁ、いうなれば、戦乱への不安から反伝統の立場をとり、退廃に美を求めたって感じの世紀末にありがちな作曲家になってきたわけです。
神がかる
最初のつまづきは、たぶん、学生時の右手の完全麻痺。練習のし過ぎが原因らしいけど、彼の苦悩は大きく、将来に絶望した彼は、哲学書に救いを求めると共に、宗教や神秘主義に手をだしちゃう。ま、この麻痺は完治したんだけどね。1899年から着手された彼の交響曲第一番は、なんと、「芸術賛歌」。やばいです。彼は、カント、ヘーゲルなどのドイツ古典哲学から、ニーチェに至る思想を横断し、「芸術に栄光あれ!永遠に栄えあれ!」というニーチェ的な自作の歌詞を第6楽章で繰り返し歌わせているわけです。かなりキてます。
そうはいっても、例えばバッハさんみたいに音楽で神に奉仕しようっていうのは、敬虔な音楽家にはあること。スクリャビンは、音楽そのものを神・宗教みたいに考えたわけです。つまり、音楽によって人を救済し、新しい存在の様態へと導こうってね。これも、ヴァーグナーとか、シュトックハウゼンとか、芸術をやるような人の中ではそれほど奇異じゃないです。ところが、スクリャビンは一歩進めた。芸術による人々の救済、新しい存在の様態への導入の究極に「法悦 −extase」なんてものを持ち出して来た。
科学と哲学と宗教の総合を目指したソロヴィヨフって人の神人思想に没頭して、ブラヴァツキーの神智学とかに手を出し、んで、自分を「神人」だと認識したのが、交響曲第4番『法悦の詩』の頃。ああ、もう狂っちゃった。
「色光ピアノ」
そして、交響曲第5番「プロメテウス−火の詩」になると、「色光ピアノ」なる楽器を持ち出してきた。。スコアの一番最上段に楽譜で示されているが、鍵盤は音響をもたらすのではなくて、演奏会場に強烈な着色光線を映し出すというもの。一オクターヴ内の十二の音、及び、十二の調に、12の色彩を与え、それぞれに象徴的な意味づけを行った。グラデーションは5度圏にしたがって、配列されており、それは、次のよう指定されている。
《音高スペクトルと色彩スペクトルの照応表》
C(赤=人間の意志) G(橙=創造の戯れ)
D(黄=喜び) A(緑=物質)
E(空色=夢) H(青=瞑想)
Fis/Ges(明るい青菫色=創造性)
Cis/Des(菫色、紫=創造する精神の意志)
As(菫色またはライラック=物質に対する精神の働き)
Es(鋼鉄のような輝きを持った肌色=人間性)
B(薔薇色または鉄の灰色=強い欲望と情熱)
F(深い赤=意志の多様化)
ま、結果的に、この色光ピアノの使用は、不成功で、スクリャビンは英国レミングトン社の機械がうまく動かなかったって文句を言ってるけど。そして、彼の究極の目標が、『神秘劇』。それは、音楽、詩、色、光、芳香、舞踏、建築という、あらゆる感覚に基ずく総合芸術であり、肉体的世界を宗教的充足感、すなわち、法悦への導く儀式意外のなにものでもなかった。そして、彼はサンスクリットをベースにした人工言語による、テクストを意図し、イスラムのスーフィーの舞踏に陶酔し、舞台にインドやチベットの寺院を考え、さらに、芸術的であると同時に典礼でもある『神秘劇』という行為の中に、自然そのものの空気を循環させることを計画していたらしい。おまえは神か!
『神秘劇』は、あらゆる刺激の手段、あらゆる「感覚の愛撫」を用い尽くして、恍惚境へ飛翔しようとする祭式であり、「聖なる寺院よ、心の焔で燃え上がれ/燃え上がれ、神聖な焔となれ………収斂した最後の瞬間に/我々の瞬間から、永遠を/竪琴の最後の音に投げよう/そして融けていく、エーテルの渦に」。『神秘劇』の実現可能な形として、『序幕』のテクストをスクリャービンはこのように書いた。そして、音楽のスケッチを始めたものの、炭疽病を媒介する蠅に唇を刺され、敗血症にかかって死んでしまった。享年、43歳。でも、この人生きてたら、20世紀のクラシック界はすごいことになってたかも。
ニールセンその人について
このおじさんが、ニールセンさんです。若い頃のポートレートは結構美形です。なんといってもスカンジナビア系(偏見か?)。ほとんどの音楽辞典にのってます(カルル・ネルセンの場合もあり)。北欧といえば、作曲家は結構多いけど、デンマークというと少ないですね(ギター・ポップでもそれほど目立ちませんが・・・)。
ニールセンの演奏
よく6月くらいになると、コンサートとかで北欧の特集みたいなのがあって、「北欧の清澄」とかいってね。でも、たいてい、グリーク(ノルウェーの大作曲家)、シベリウス(フィンランドの大作曲家)どまりで、なぜか、メンデルスゾーン(ドイツの作曲家)とかがカップリングされてくる。それも「スコットランド」(メンデルスゾーンの交響曲第3番のこと。彼がスコットランド旅行の印象で作曲)スコットランドって北欧か?ヨーロッパの北ではあるけど。北欧っていったら、スカンジナビア三国でしょ。ノルウェー、スウェーデン、デンマークだよ。ノルウェーのグリーグはいいよ。スウェーデンならステンハンメル、デンマークならニールセンを演るべきだ。これが北欧出身の指揮者なんかでもあまりやってくれない。(オッコ・カム、おまえだよ!)
特にニールセンは演奏会の機会が少ない。彼の本分はシンフォニーだが、シンフォニーは演奏会の華。知らない華では、集客に響くのだろうか。オール・ニールセン・プログラムなんてもってのほかだ。僕の経験では、1994年3月、日フィルが第458回定期で、前半に、ニールセンの交響曲6番「シンプル」(指揮オッコ・カム)を演り、後半は芥川也寸志とヤナーチェクだった。されから1996年4月、都響が「遥かなる北欧の心」と題した426回定期で、交響曲4番「不滅」(指揮、大友直人)を華として演奏した。しかし、このプログラムにもシベリウスの「大洋女神」とともに、ブラームスのヴァイオリン協奏曲が入っている!ベートーヴェン、メンデルスゾーンのコンチェルトとともに、三大ヴァイオリン協奏曲といわれるあの名曲(=有名な曲)だ。コンチェルトは当然ゲストを必要とする。この日は、オーギュスタン・デュメイが呼ばれていた。ま、都響のヨーロッパ公演でコペンハーゲンにもいくので、ニールセンをやっておきたかったというのが本音だろうが、それにしても・・・。あっ、もちろん、コンサートでの演奏は素晴しいもので、「不滅」のあの超が三つくらいつくスケールの大きさは観客を魅了してやまなかった。シベリウスの「大洋女神」なんて、忘れるくらい。コンチェルトもニールセンのものにしてほしかった。あんまり書くと怒られるな。
デンマークの作曲家
別に、デンマークって、椅子とかばっかり作ってる国ってわけじゃないんだな。有名なデンマークの人っていったら、アンデルセン?キルケゴール?それとも、・・・?ま、とにかく、デンマークなんて作曲家がほとんどいないんだから。バッハの時代にブクステフーデでしょ。あとピアノ教則本のクーラウ。ニールセンのお師匠さんのガーデ(ゲーゼ)さん。あと、現代ではペア・ノアゴー。なんて一人でも知ってる?
まず夭逝とは?
ハンス・ロット。この名前を聞いたことのある人はそういないだろう。そして、年代を見て驚くのは、その生存期間の短さである。25才にして死んでいる。なるほど、この人も「夭逝の」というイメージで有名な人なんだ。いいや、違う違う。この人、有名ではないのだ。いわゆるメジャー作曲家たちの中で、もっとも夭逝なのは誰だろう。ううむ、20代というのは、なかなかみあたらない。早死のイメージのあるのは、シューベルト(31才)、 モーツァルト(35才)、ビゼー(37才)の三人だが、ご覧の通り。名のある20代で死んだ作曲家といえば、ナポリ楽派のペルゴレーシ(26才)、日本では有名な滝廉太郎(23才)ぐらいである。(ジャズならジミー・ブラントン、チャーリー・クリスチャン、ブッカー・リトル、クリフォード・ブラウン、スコット・ラファロなどが26才未満で死んでるけど)別に早く死ぬことが偉いということではないが、夭逝していながら、作品が残っているということは、必然的に若くして才能に恵まれていたということになる(それが偉いのかといわれるとなんともいいがたいが)。ちょうど同時代を生きた詩人のA.ランボー(1854-91=37才で死去)がそうであるように。
ロット発狂と死
さて、ハンス・ロットであるが、ロットは喜劇役者の父のもとにウィーンで生まれている。母は、彼が2才の時亡くなっており、父も舞台での事故で、彼が18才の時に死んだ。彼は学業を収めるのに非常に苦労する。ブルックナーのもとでオルガニストをし、音楽院ではマーラーとともに学んだ。1878年ごろから、彼は定職を得ることができなくなった。そして、ある日、彼の支援を得ようとブラームスを訪ねた。しかし、ブラームスは彼のシンフォニーにひどい評価を与えた。その後、ミュールハウゼン行きの列車の中で彼は発狂したという。精神病院に送られたロットは妄想性精神疾患、誇大妄想狂と診断される。精神病院にいったのは、シューマンが有名だけど、その後も彼は、「人間の作ったものには価値がない!」といいながら、自作の弦楽六重奏の楽譜をトイレットペーパーがわりに破り去り、ついには、その肉体まで患い25才という若さでこの世を去るのである。
ロットの作品
こうして、ロットの作品でなんとか残っているのは、彼が20才の時に書き、音楽院の作曲コンクールに提出した60分を超す交響曲ホ長調のみである(残念ながら優勝はマーラーのピアノ五重奏だった)。結局、彼はブラームスより遅く生まれて、早く死んだ、ちょっとあわれな青年だったわけだ。しかし、20才で書かれたこの交響曲はブラームス、ブルックナー、ヴァグナーの響きを感じさせる。もし、彼が長生きしていたらなどという仮定は無意味だけど、同胞マーラーと並んで、新しい交響曲の担い手たりえたという評価もある。
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